Nirvana「Smells Like Teen Spirit」を、もう一度聴く
日常によって

朝、ゴミ出しの帰りに流れていた。
コンビニの前で、エンジンをかけっぱなしの車から。
音は少し割れていて、サビだけが風に残る。
歌詞はよく聞こえない。
昔は意味を探した気もするけど、もう探さない。
信号待ちのあいだ、頭の中でギターが鳴る。
あの最初の一撃。
でも胸は高鳴らない。
代わりに、昨日の洗濯物を干し忘れたことを思い出す。
高校の頃、この曲は特別だった。
でも今は、BGMとしてちゃんと機能している。
コーヒーの匂いと、排気ガスと、レジの電子音の間で。
entertain us
お願いでも命令でもなく、
今日はただの独り言みたいに聞こえた。
曲が終わる前に信号が青になる。
アクセルを踏む。
サビの続きを聴かないまま、曲は途切れる。
革命は起きなかった。
ただ一日が、少しだけ前に進んだ。
この曲は、もう特別じゃない。だからこそ
この曲は、時代を変えたと言われる。
90年代を始めたとか、ロックを更新したとか、
そういう言葉はいくらでも並ぶ。
でも、実際に起きたことは、もっと曖昧で、もっと日常的だった気がする。
1991年という年は、何かが始まったというより、
「もう戻れない」と気づいてしまった年に近い。
冷戦は終わり、敵ははっきりしなくなり、
未来は明るいはずなのに、どうしても信用できなかった。
音楽も同じだった。
80年代のロックは、成功の形が分かりやすかった。
派手で、大きくて、分かりやすくて、
夢を見せることに、まだ迷いがなかった。
この曲は、そういう顔をしていない。
夢を語ること自体に、少し照れている。
ポップだと分かっていたから、居心地が悪い
「Smells Like Teen Spirit」は、
最初からポップとして成立していた。
反復できて、覚えやすくて、
みんなが同じ場所で叫べる構造を持っている。
それは強さでもあるけれど、
同時に、意味が固定されていく構造でもある。
entertain us という言葉は、
鼓舞でも、革命でもない。
ただの投げやりな一言だ。
「分かっているなら、勝手にやってくれ」
そんな距離感だけが、奇妙に残る。
一度“代表”にされてしまうと、
もう黙って歌うことはできない。
この曲が居心地の悪さをまとっていった理由は、
たぶんそこにある。
静と爆は、感情の呼吸だった
音楽的に見れば、この曲は新しすぎない。
静かで、うるさくて、また静かになる。
どこかで聴いたことのある構造だ。
それでも、この曲が特別だったのは、
分かってしまっている感じが、音に残っていたからだ。
耐えて、吐き出して、また耐える。
この構造は、時代の若さというより、
今も続いている生活のリズムに近い。
見る音楽と、固定される意味
90年代初頭、音楽は急速に「見るもの」になった。
映像と一緒に消費され、
意味ごとパッケージされていく。
体育館の映像は、象徴的すぎる。
どこにでもある場所で、制御が外れる瞬間。
ここで起きていたのは、
売れた・売れないの話じゃない。
解釈権が、本人から離れていくという出来事だ。
名曲は、生活に沈んでから強くなる
全部を変える力は、もうない。
でも、日常の表面を、
一瞬だけざらつかせる。
名曲は、神棚にあるときより、
使い古されて、意味を失いかけたときに、
もう一度だけ、強くなる。
この曲が今も残っている理由は、
たぶん、そこにある。
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もう一度、静かに聴き直したくなった人へ。

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