制御された暴力の匂い
夕方の公園を通り抜けるのが、いつからの習慣だったか。西日が長く影を落とす時間帯、遊具の色が妙に鮮やかに見えるあの感じが、嫌いじゃなかった。
砂場のほうから甲高い声が聞こえてきた。二人の子供が取っ組み合いの寸前で、片方がわっと泣き出す。母親らしき人がベンチから腰を浮かせかけるが、すぐには駆け寄らない。子供の喧嘩は、本気で怒っているように見えて、でもどこかで「これ以上やったら本当にマズい」という線を、彼らは知っている。
その、制御された暴力の気配。きい、と錆びたブランコがきしむ音。その瞬間、僕の頭の中ではNirvanaの「Floyd the Barber」が鳴っていた。
借り物の怒り
『Bleach』の2曲目、「Floyd the Barber」は露骨だ。ザラついたギター、叩きつけられるドラム。カート・コバーンのシャウトは、真正面からぶつかってくる。
録音は1988年1月23日、Reciprocal Recording。予算は友人が出した600ドルあまり。正式ドラマーではなく、Dale Croverのテイクが採用されたという話を思い出すと、あの音の荒さは、偶然ではなく必然だったように聞こえる。
カートは後年、『Bleach』期の歌詞を深く考えていなかったと語っている。レコーディング直前に書かれた殴り書き。だが、それは軽さを意味しない。意味を与えないことで、衝動をそのまま残そうとしたようにも思える。
それでも「Floyd the Barber」の暴力は、どこか作り物めいて聞こえる瞬間がある。
無垢を壊すという遊び
タイトルの「Floyd」は、60年代のアメリカのホームコメディに登場する理髪師の名前だ。平和な町の象徴。その無垢な名前を借りて、監禁や拷問のイメージを歌う。
本気の憎悪というより、無垢なものをわざと汚してみせる、子供の悪戯のような匂いがする。
Sub Popから「もっとロックらしく」と求められていたという話を知ってからは、あのシャウトが少しだけ、誰かに向けた証明のように聞こえることがある。
怒りを演じること。暴力を誇張すること。それは、公園で砂を投げる子供と、どこか似ている。
本当に痛いのは誰か
本気の憎しみは、もっと粘着質で、重く沈むはずだ。でも「Floyd the Barber」には奇妙な疾走感がある。重いのに、跳ねる。
カート・コバーンが壊したかったのは、テレビの中の平和な町だったのか。それとも、自分の中に残っていた、信じやすい子供の部分だったのか。
ふと我に返ると、公園の喧嘩は終わっていた。砂場には乱れた足跡だけが残る。
「Floyd the Barber」は何も解決しない。ただ、肌の奥にざらつきを残す。
あのとき本当に怒っていたのは、砂を投げた子供か。投げられた子供か。それとも、カート・コバーンだったのか。
いや、もしかしたら。その光景を見て、自分の中の衝動を思い出してしまった僕自身だったのかもしれない。
